2013年09月01日

自分の人生を作り直せるとしたら j自分の過去をどう描く

やっと 母の弟と姉 そしてその息子が近寄ってこなくなった。
あいつらがもっと早く どっかに行ってくれていれば ずいぶんぼくの人生が変わっただろう

贅沢について 考える事が多くなった
自分の所持品
動かしてもない ZR-1
なぜか 別々に役目は与えているが ノートPCが4台、Palmが2台 そして携帯電話??に余分なMP3プレイヤー2台、かなり高い弁当箱、自転車??

Z(初期型)は日本刀をイメージしたと 聞いたことがある。
以前から気に入っている <仏壇と自動車>と言う本に
個人としての行動の自由、それを支える新しい乗り物が、個の車「パーソナル ビークル」である。
人はさまざまなしがらみの中に生きている。
自己と他との境界はすごぶるあいまいになってきている。
ここで自己と他を截然と分かち、自分が世界の中心になれる。
そして拡散しがちな自己の一点に凝集できるものを、人は必要とする。
かつて武士の魂といわれた日本刀は、まさにそのような役割を果たしていた。
現代人にとって自動車が、かつての日本刀に代わる役割を果たしてくれるように思われる。
日本刀は、武士にとって自己の証であり、うつしみであった。
贅沢の基本は、自己のうつしみとして、自己を表現するものを持てるということである。
ものが自己の表現となる、うつしみとなるとは、言葉を換えれば自己の美意識がものの持てる美意識とぴったり合うことである。
人とものとがひとつの美意識を持ってつながるとき、自分とわがものと、二つにしてひとつの内なる世界(インナーコスモス)が成立する。
内なる世界を成立させうるものを、ひとりひとりが持ちたいものである。
自己の魂を代表的に表現してくれるものをひとつ持ちあわせること、それが人間の魂を救っていく。
武家の時代、元服は人間としての出発点であった。
元服にあたっては、人は一振りの剣を授けられた。
本番の人生の出発点「元服」から、その終焉としての「割腹」までを、一振りの剣は、見とどけてくれた。
剣は命であり、命は剣に託された。
それだけに剣は美しくなければならなかった。
そうした使命を享けて、刀剣は美しいものになっていった。
刀剣自体がそうした大きな役割を負うことによって、自ら磨きぬかれていったのである。
現代人にとって車が、武士における剣にとって代わるものになるには、行動の自由を保障するひとり乗りの車という、乗り物の原点にかえることが必要であろう。
ものにあって美しくあることは、魂の入っている証拠なのである。
武士が荘厳な太刀を腰に闊歩したように、贅沢の限りを盛り込み、磨きぬかれた美しい車を駆って自由自在に行動していきたいものである。
自動車は、もともと器性の高いカプセル状の道具であり、それだけに自己を凝集し、自己と世界とを純粋に対時させることができる器である。
車が個の存在のアイデンティティーを支えるとき、それは人間の心身と、断ち切った外界との絆を結び直す人機一体のマシーンたりうる。
武士にとって剣というものは、いざというときの処方があるのだということを、つねに言い聞かせてくれるものであった。
これが、自動車 転じて棺桶となる、とさきにそのような車のありかたを提示したゆえんである。

ボクが求める Z とは 壊れない 直しやすい
シンプルにマトメようとしているが シンプルに纏めることは 一番 難しいと思う 毎日だ。

刃物を砥げない者には 手に職は身につかないと言った 弓工職人さんも言っていた。
減らすこと 磨くこと
一番なのは 磨きながら 減らすことか
posted by Gen at 07:18| 三重 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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